2009年11月23日 (月)

美しいものは悲しい?

今、フルートでEnescoという人の Cantabile et Prestoという曲を練習しています。途中美しい旋律があり ff と書いてあるので思い切って吹けるだけ大きな音で吹いたら、師匠からそれはいけません、と言われました。フルートの高音域はよく聞こえるのでmf くらいでいいそうです。なんでも、ある美学では「本当に美しいものは悲しい」という認識があるんだそうすね。そこはあまり明るく楽しく吹いてはいけない、ということでした。「美しいものは悲しい」というのは絵でも同じですよね、と言われてマネやモネなどフランスの画家の絵を挙げてくれました。美しい曲を聴いて感動して涙が出そうになるのは、そういうことなんですね。

いろいろ思い当たることがありました。

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2009年6月25日 (木)

超古代のフルート

今朝(6月25日)の朝日新聞朝刊に独南西部ウルム近郊のホーレ・フェルス洞窟で鳥の骨でできたほぼ完全なフルートやマンモスの牙でできたフルートの破片を発見したというニュースが出ていました。放射性炭素の測定から、3万5千年も前のものだ、ということです。

3万5千年前というと中期旧石器時代と後期旧石器時代の中間辺りですね。写真を見る限り、縦型の笛のようですが、こんな古代の大昔に人類は既に笛を吹き、音階を奏でていたと言うことになります。ハゲワシの骨でできたフルートは全長21.8センチ、直径8ミリで5つの指穴が開いており、広い音域を持っていたらしい、とありましたが、どんな音階だったのでしょうか。どんな音がしたのか、どんなメロディーを奏でていたのかなど、とても興味があります。もっともこれが発見された最古のものだそうですから、研究はこれからですね。民族音楽の研究者、音楽の歴史の研究者の研究に期待しています。

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2008年6月15日 (日)

画廊の老人

今道友信著「出会いの輝き」を読みました。今道氏が過去80年間の人生を振り返って出会った人や本について書かれています。どの出会いも興味深く読みましたが、今日は特に心に残った1人の人のことだけを書いておきたいと思います。今道氏がルーマニアのブカレストで出会ったジョルジュ・ラザールという画家の話です。私は絵についてはあまり知識がありませんが、今道氏はルーマニアでの学会の間に、ある画廊を訪ね、ラザールの絵を見たのです。その画廊に毎日座っていた老人は門番だろうと思っていたのですが、ラザールについて尋ねて、実はその老人がラザールその人だった、と言うことでした。その話の中ではパリにいたときにラザールが尊敬していた藤田画伯が話の要なのですが、私が印象に残ったのはラザールという人の生き方です。私の勝手な解釈ですが、おそらくその画家は必ずしも藤田ほどには社会的にも成功した画家ではないのですが、人から認められるか否かとは関係なしにこつこつと仕事を積み重ねている人のように思いました。しかも、なにかその人独自の大切なものを見いだして生き甲斐としているように思ったのです。

まだ定年まで5年ほどありますが、定年後もいつまでも、心の中に何かテーマを持って勉強を続けながら、ラザールのように淡々と生きていけたらと思いました。

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2008年5月28日 (水)

朝の通勤電車で

朝の通勤時、藤沢から小田急江ノ島線に乗ると、時々ある母親と息子さんに出会います。もうかれこれ7-8年にもなるでしょうか。もっと長いかも知れません。いつの頃からかその母親とは会釈するようになりました。息子さんはもう二十歳を過ぎているのではないかと思いますが、強度の自閉症と思われ、落ち着いて座っていられずに車内を歩いて行ったり来たりし、時折奇声を発します。母親はいつも周りの人に気を遣ってお気の毒で、私は「そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。」という気持ちで、なんとなく挨拶するようになり、たまにその2人の横に腰掛けるとお母さんと話をするようになりました。しかし、息子さんとは一瞬目を合わせることはあっても、お互いに「見る」というところには至ったことはありませんでした。自閉症の子供は相手と目が合わない、ということは聞いたことがあり、自分の世界に閉じこもっているので、なかなか意志を通じ合うのは難しいのだろうと思います。ところが、今朝は会ったとき、笑顔を向けると、2~3秒と思いますが、目が合ったのです。これは初めてのことだと思い、なんだか嬉しくなりました。さらに、2人が桜ヶ丘の駅で降りるときには、母親に会釈した後、息子さんを見ると、こちらを見て何か言ったように思いました。「さようなら。」と言おうとしたのでしょうか。今度会ったときにも目が合うといいな、と思います。

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2007年12月 8日 (土)

腱鞘炎

数ヶ月前から腕、特に右腕の腱鞘炎に悩まされています。どうも長年にわたってノートPCや時には楽器(フルート)も入れた重い鞄を持ち歩いていたためではないかと思うのですが、なってみていくつか気がついたことがあります。普段の何気ない動作に右手の指を思ったよりもしょっちゅう使っていることです。例えば、電動髭剃りで髭を剃るのがしんどい、箸で力を入れてモノが挟めない、PCで同じキー操作を続けて行うと痛む、など今まで難なくこなしていた動作が意外と大変だと言うことに気づきました。時々頭の中でメロディーが走っているとき、鼻歌を歌ったりすることもありますが、無意識に右指で鍵盤を叩くような動作をしていることも腱鞘炎になってみて初めて気がつきました。手で持つ鞄はしんどいので、肩掛けにし、それもしんどくなってリュックサックにしましたが、これも肩が凝って困ります。そこである人から聞いたのは同じリュックサックでも腰でベルトを締めるタイプがいいと云うことで、ちょっと高価なリュックを買って腰で支えるようにしたら大部楽になりました。

現在、鍼の治療をしています。フルートの師匠から紹介してもらったのです。治療に使う鍼というのは先がとがっていないのだ、ということを初めて知りました。本当に細いですが、押して入れるわけですから、ある程度の太さがあるわけです。ほとんど痛くないのも不思議ですが、なぜ鍼を1cmも入れて血が出ないかが不思議でした。なぜかというと、なんでも先がとがっていないことが重要なのだそうで、とがっていないために毛細血管に刺さらず、神経にも刺さらないで血管や神経が避けるのだそうです。鍼の働きは、筋肉組織を傷つけて免疫力を刺激することなんですね。うるさい質問をする患者だと思われているかも。

2ヶ月ほど通い、まだ少し痛んだりしますが、握ったり、痛い筋を押しても一時より大部痛くなくなってきました。年内に治療が終わることを期待しています。

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2007年10月13日 (土)

12音と7色

ブルーバックスの小方厚著「音律と音階」を読んでいます。ピタゴラス音律、純正調、ウェルテンペラメント、平均律などの関係がとてもわかりやすく書いてあります。バッハの平均律曲集が平均律を確立したように思っていましたが、あれはウェルテンペラメントであって、平均律ではないんですね。

虹の色は7色と云われていますが、実際には虹からのスペクトルは連続的で日本では7色に分けるが、国によっては必ずしも7つに分けているわけではない、という話はよく知られています。考えてみると音のスペクトルも連続的なのに人間が勝手に12音に分けているわけです。といっても7色とちょっと違うのは、決め方の源流であるピタゴラス音階からして、Cを基本とすれば、Cと重ねて出して和音としてよく調和する音、ということで選ばれているので色の分け方よりは任意性が低いと言えます。それでもピタゴラスのコンマの問題(3倍音の倍音を元の1オクターブの中に入れるようにするために2^nで割る、というやり方で音を作っていくと「シ」がオクターブ上の「ド」に近すぎて「5度円」上で360度にうまく収まりきらない)があり、転調の問題もあって、平均律が産み出されるまでに紆余曲折がありました。12音は妥協の産物とはいえやはりもっとも自然のようですね。16音律、17音律などがあること、民族音楽では各民族によって固有の音律を持っていることも改めて認識されました。

自然が数学によって物理学を通してこれほど正確に表現されるという事実を考えると、音楽の構造というものがそれほど数学できれいには割り切れない、ということになんとなく割り切れなさを感じました。まあ、そうなんだからしょうがない、ということでしょうか。

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2007年10月 5日 (金)

永井隆博士からの手紙

 去る八月二十二日の朝日新聞夕刊に「長崎からの手紙、次代へ」という記事が掲載され、ご覧になった方も多いと思います。昭和二十四年二月、ある町の小学校の生徒達が長崎の自宅で療養中の永井隆博士に手紙を書き、その手紙に永井博士が応えて送った返事でした。永井博士といえば、「この子を残して」や映画化された「長崎の鐘」などを通して私どもの年代にはなじみ深く、記憶に強く残っておられる方も多いと思います。それから六十年近くも経過した今、その手紙を長く保存しておられた方は既に亡くなり、夫人の上村三枝子さんがその手紙を多くの人に読んでほしいという願いで公表されたもののようです。朝日新聞に載っていたのは「抜粋」とあったので、是非全文を読みたいと、朝日新聞を通して上村さんにお願いしたところ、早速コピーに手紙を添えて送って下さいました。コピーとはいえ、初めて見る博士の直筆ということもあって、感銘深く読みました。上村さんは『「汝ら互いに相愛すべし」とは神のさだめた規則であります。』という文が新聞では削られてしまっていたことを嘆いておられました。日本の新聞には「神」は受け入れられないのでしょうか。永井博士に手紙を送ったのは長野県木曽郡の子どもたちだったことも上村さんの御住所から分かりました。以下に手紙全文を転載します。なお、参考までに、新聞では割愛されていた部分を括弧で示しました。

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 福島小学校のみなさま

 六年い組のみなさまから(真心のこもった)お手紙をどっさり頂いてよろこびました。私達三人の父子は幸福に暮らしておりますから、よろこんで下さい。
 人間どうしは相愛し合ってゆきさえすれば幸福になれます。
 (たといどんなに貧しくても愛し愛されておることをはっきり知っておれる状態にあると全く幸福です。)
 人間どうしは相憎み(相)争ってゆきますと、(いくら自分の要求が通っても心が落ち着かず)いつまでも不安です。
 世界がいま二つに分かれているとよく云われます。争いによって公平な分配をしようとするか、愛によって公平な分配をしようとするか---相手をみたらすぐ目を怒らし議論をするか、相手をみたらすぐにっこりしていたわるか---。
 この二つのやり方のどちらをあなたは好きますか?
 (きっと愛の組でしょうね。なぜならこうしてやさしい手紙を私たち南の港の者に書いて下さったのですもの。
「なんじら互いに相愛すべし」とは神のさだめた規則であります。)
 どうか、あなたの町で、(あなたがたはみな)愛の天使として貧しい人、かなしんでいる人、困っている人、病気している人、旅の人、さみしがっている子に小い愛の言葉をかけるように努めて下さい。
                          一九四九年二月二八日
                      長崎市上野町三七番 永井 隆
 福島小学校のみなさま
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2007年9月17日 (月)

晴耕雨読

先日、中学高校とお世話になった先生を囲む会があり、その折、定年間近な人間の多いこととて、定年後のことに話が及びました。みなさんそれぞれ考えているようでしたが、晴耕雨読で過ごしたい、というのがいて、自分もそれに近いと思いました。しかし、考えてみると、土地はないし、作物の植え方など何の心得もないので「耕」はできそうもありません。生産性はありませんが、自分は「歩」かな、と思いました。歩くのは好きなので、健康のためにも晴れている日はいろいろなところを歩き回り、人にも会い、雨の時には「雨読」もいいが、家の中で楽器を奏でるのも悪くないなと思います。「晴歩雨奏」はよさそうです。でも、一人で奏でるのもいいですが、できれば合奏仲間と合奏をしたいものです。合唱も続けたいと思います。「唱」ですね。さらに、年金だけではやっていけそうもないので、技術コンサルタントなどで雇ってくれる会社はないかと探しています。定年までまだ5年半ありますが、実は近々その「技術コンサルタント」を始めることになりました。

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2007年7月22日 (日)

天災は忘れた頃にやってくる

今朝の朝日新聞の天声人語に寺田寅彦のことが引用されていました。寺田寅彦は東大物理学科の教授を勤め、地震や音響学の研究をしていましたが、ご承知の通り、多くの随筆を遺しました。中学の国語の教科書にも載っていました。電線にとまる雀の間隔の話とか、路線バスの混み方の分布の話をぼんやりと覚えています。今朝の天声人語は今回の新潟県中越沖地震で明らかになった原発のおそまつな防災設備に対して「地震はどうにもならないが、被災は人間次第である」という寅彦の持論を引用して、防災の心構えを説いたものです。

「天災は忘れた頃にやってくる」と最初に言ったのは寺田寅彦だとされていますが、随筆や本人の私信には全く同じ表現はどこにも出てこないそうです。しかし、随所にこれと似たことが言われているのは確かです。松本哉著「寺田寅彦は忘れた頃にやってくる」(集英社)には寺田が友人の小宮豊隆に宛てた手紙の以下のような文が引用されています:『調査の必要から昔の徳川時代の大震火災の記録を調べているが、今度(注:関東大震災)われわれがなめたのと同じような経験を昔の人が疾(とう)になめ尽くしている。それを忘却してしまって勝手なまねをしていたためにこんなことになったと思う。』

話はずれますが、学生の頃、寺田寅彦の和太鼓や能管(だったかな?)の振動特性の論文があることをどこかで読んで、本郷の中央図書館で論文をコピーしてきたことがありました。寅彦の当時は、東大の物理学科は新しく入ってきた量子論や相対性理論の研究を始める人が多く、寅彦のように古典力学を使った研究を続けている先生は学生には人気がなかったようです。しかし、もちろん量子力学でなければ解けない問題も多いわけですが、興味のある問題が古典物理学で解けるのであれば古典物理学でよいわけで、流行に惑わされずに我が道を行く人もいていいと思います。

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