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2008年7月27日 (日)

Pausch教授の「最終講義」

  先月(6月)下旬、私はオーストラリアのケアンズに国際会議参加のために出かけましたが、帰国の際にCairns空港の書店で「The Last Lecture」 という本が目に留まり、購入しました。著者のカーネギーメロン大学教授Pauschさんには妻のJaiさんと6歳と3歳の息子さんと1歳のお嬢さんがありますが、2年前にすい臓ガンで余命数ヶ月と診断されました。「はしがき」には「この本が出版される頃には私はもうこの世にいないでしょう。」と書かれています。著者は、残された数ヶ月の生活について、できる限りの時間を家族と共に過ごすこと、さらに自分がいなくなったあと、家族が支障なく暮らして行かれるように取りはからっておく、ということをまず明らかなこととして考えました。

しかし、明らかでなかったのは、自分が子供達に残してやれるものは何か、ということでした。自分が画家であれば絵を残したであろうし、作曲家だったら音楽を残しただろう、自分は大学の教師なので、自分が残せるものは講義ではないか、と考えたということです。子供達はまだ幼く、今それを見ても分からないだろうけれども、大きくなってからそれを見て父親の考えていたことが分かるような講義を残そう、と考えたのです。

カーネギーメロン大学では、毎年、教員の中から優れた仕事をした人を選んで、講演してもらうことになっていました。このシリーズは元々は「最終講義」と名付けられ、定年退職する教授が選ばれていましたが、その時までには現在活躍している人のなかから選ばれるようになっていたのです。Pauschさんはその講演者に選ばれていました。選ばれたとき既にガンが見つかっていたのですが、その時はまだなんとかなるだろう、と楽観的に思っていたそうです。しかし、再検査の結果が戻ってきて、余命数ヶ月であることが明らかになりました。

Pauschさんは講演を辞退しようかと一時は考えました。妻のJaiさんも残り少ない日々を講義の準備に費やすよりも、子供達と一緒にゆっくりと過ごして欲しいと願いますが、最後には夫の熱意を理解して、これを許し、最終的には自分もその講義に出席することによって、夫の元気な姿を心に刻み込んでおこうと思ったのでした。

Pauschさんが選んだ講演のテーマは専門的なものではなくて、「子供の頃の夢を実現すること」というものでした。夢は追求しても、かなえられないことが多いのですが、かなえられなかった夢の追求から如何に多くのことを学んだかが、具体的な例と共に熱っぽく語られました。講演の日は丁度奥さんのJaiの誕生日で、講演の終わりに、Jaiさんを演壇に招き、Happy Birthdayを歌って講演を閉じた、と言うことでした。考えさせられることの多い内容の本でした。

ところで、今朝の朝日新聞朝刊(2008.7.27)に『「最後の授業」47歳米教授逝く』という見出しでカーネギーメロン大学のRandy Pausch教授が亡くなったことが報じられていました。すい臓ガンは肺がんと並んで死亡率が最も高いガンであることを前に読んでいましたから、難しいだろうと思っていたのですが、2日前の7月25日に亡くなったということでした。新聞の記事によれば、教授の「最後の授業」(上記「最終講義」)は動画投稿サイト「ユーチューブ」で話題を呼び、日本語にも訳されている(ランダムハウス講談社)とのことです。

追記、ユーチューブに「最終講義」のDVDがありました:

http://jp.techcrunch.com/archives/20080725dr-randy-pausch-carnegie-mellon-cs-professor-dead-at-47/

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2008年7月22日 (火)

ショパンの心臓

Scienceの最新号の「RANDOM SAMPLES」の欄にショパンの心臓のことが書かれていました。ショパンは1849年に39歳でフランスで亡くなっていますが、医師の死亡報告書には肺及び喉頭の結核と記されているそうです。ショパンの遺志により心臓は友人達によって取り出され、コニャックを満たした広口瓶に漬けられて故郷ポーランドのワルシャワの教会に送られた、ということです。

最近になって、ワルシャワ分子生物学・細胞生物学国際研究所のMichal Wittらはショパンは実は嚢胞性線維症だったのではないかと考え、これを調べるために、瓶を開けたいと希望していることが報じられました。Wittによれば、ショパンは幼少時に遺伝性の病を持っていたと言うことです。例えば、呼吸器官に感染しやすく、病弱で、思春期も遅れました。成人したショパンは小柄で時に階段を上るのが困難で、コンサートの後、ステージから降りるのに担ぎ出されなければなりませんでした。もし、ショパンが嚢胞性線維症だったと言うことになれば、これは嚢胞性線維症患者にとって特別なニュースになるだろう、とWittは述べています。

Wittはショパンの生誕200年に当たる2010年までに彼の心臓を調べたいと希望していて、コンピュータートモグラフィーやDNA診断を行う絶好の機会だろうと述べています。当局もこれに許可を与えることを検討している、と締めくくってありました。

コンピュータートモグラフィーもDNA診断も近年急速に発展してきた最新の技術ですが、この間150年以上も手を付けずに取っておけたお陰で、このような最新の技術を駆使した診断ができそうで興味が持たれます。嚢胞性線維症は日本ではとても希少な病気ですが、ヨーロッパのユダヤ人のある系統(アシュケナジー)では25人に一人の保因者がいると言うことです。

Wikipediaによれば、 嚢胞性線維症の「原因は塩素イオンチャネル(CFTR)の遺伝子異常で、水分の流れに異常をきたし粘液の粘度が高くなる。鼻汁の粘性が強くなると副鼻腔に痛みを感じ、痰の粘性が強くなると、気道を閉塞し肺炎を繰り返すようになり、ついには気管支拡張症をきたす。胆汁の粘性が強くなると、胆石をおこしたり、膵炎をおこしたり、肝機能障害からついには肝硬変をきたす。医療の発達により寿命はのびてきたとはいっても30代である。」ということです。確かに、「気道を閉塞し肺炎を繰り返す」辺りは死亡診断書と合致します。

藤原正彦さんが「天才の栄光と挫折」の後書きに「天才というのは神様のような人ではなくて、実は天国と地獄の両方を味わった人であることが分かった。」というようなことを書いておられますが、ショパンもそういう天才のひとりだと思いました。

それにしても日本人としては「自分の心臓を取り出して保存してほしい」というような遺言を残すのは尋常ではないような気がします。欧米ではそういうことはよくあるのかどうか。そういえば、大森貝塚の発見者のエドワード・モースは死んだら自分の脳を(あれは確か友人から頼まれて)保存することに同意した、と書いてあるのを読んだことがありますが。

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