2014年11月 6日 (木)

テスト

何年か何も書き込んでいなかったのですが、また再開しようかと思っています。

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2010年2月 8日 (月)

ブログ引越しのご連絡

「60の手習い」をこちらに引越しすることにしました。

過去の記事は時間を見つけて移動していく予定です。

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2009年11月23日 (月)

美しいものは悲しい?

今、フルートでEnescoという人の Cantabile et Prestoという曲を練習しています。途中美しい旋律があり ff と書いてあるので思い切って吹けるだけ大きな音で吹いたら、師匠からそれはいけません、と言われました。フルートの高音域はよく聞こえるのでmf くらいでいいそうです。なんでも、ある美学では「本当に美しいものは悲しい」という認識があるんだそうすね。そこはあまり明るく楽しく吹いてはいけない、ということでした。「美しいものは悲しい」というのは絵でも同じですよね、と言われてマネやモネなどフランスの画家の絵を挙げてくれました。美しい曲を聴いて感動して涙が出そうになるのは、そういうことなんですね。

いろいろ思い当たることがありました。

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2009年7月15日 (水)

歓びの中で才能は伸びる

 会議があって、朝から霞ヶ関に出かけました。午後一番に講義があるので、11時半にはそちらをでなければなりません、などと断っておいたのですが、会議は20分足らずで終わってしまいました。なんだ、このために往復2時間以上もかけて来たのか、と思いつつ、一方、だらだら続く無駄な会議よりはずっといいか、などと思って外に出ると、足は自然に、往きに目に止まった霞ヶ関のビルのすぐ下の本屋へと向かっていました。「音楽」のコーナーで何か演奏家の書いたエッセイがないかと思って探したら、ありました。千住真理子さんの「聞いて、ヴァイオリンの詩」という本が目に止まったのです。早速買い求めて帰りの電車の中で読みました。読んで数頁目に出ていた次の言葉に注意を惹かれました。「確かなことがいえるのは“歓びの中に才能は伸びる”ということである。いやなことをいやいや頑張った根性モノでは、才能は確実にしおれていくと私は確信している。」なるほど、確かにそうだと思いました。自分の中である程度モノになったものというのは、やはり好きでやってきたこと、熱中できたことだと思いました。

千住さんは幼い頃からヴァイオリンが好きで、先生についてヴァイオリンを習い、コンクールでは優勝し、マスコミからも注目されて天才少女と呼ばれ、周囲からは超順調な成長を遂げていると思われましたが、20歳の頃行き詰まり、精神的変調も来し、クラシックもヴァイオリンの音も聞くのがいやになって避けていたそうです。ヴァイオリンはもう金輪際弾くまいと思って止めたのですが、ある日母親がしまっておいた箪笥の中のヴァイオリンを見つけて弦をはじいてみて、4本の弦の出す和音の美しさに今更ながら気づいた、といいます。丁度そんな折、あるホスピスの人から千住さんに演奏の依頼がありました。もう、ヴァイオリンは弾いていませんから、という千住さんに、「ヴァイオリニストとしてお願いしているわけではない。昔、あなたのファンだった人が余命幾ばくもないのです。」と言ったのです。千住さんはホスピスを訪ねて演奏し、ホールまで来て演奏が聴けなかった独りの人のためにも其の部屋に出向いて、「最後にバッハが聴きたい」というリクエストに応えて、バッハを弾いたのですが、後からその人は次の日に亡くなったと知らされました。そのときの経験が千住さんに再びヴァイオリンを手に取るきっかけとなった、と言うことでした。

久しぶりに心に迫るいい本に出会いました。

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2009年6月25日 (木)

超古代のフルート

今朝(6月25日)の朝日新聞朝刊に独南西部ウルム近郊のホーレ・フェルス洞窟で鳥の骨でできたほぼ完全なフルートやマンモスの牙でできたフルートの破片を発見したというニュースが出ていました。放射性炭素の測定から、3万5千年も前のものだ、ということです。

3万5千年前というと中期旧石器時代と後期旧石器時代の中間辺りですね。写真を見る限り、縦型の笛のようですが、こんな古代の大昔に人類は既に笛を吹き、音階を奏でていたと言うことになります。ハゲワシの骨でできたフルートは全長21.8センチ、直径8ミリで5つの指穴が開いており、広い音域を持っていたらしい、とありましたが、どんな音階だったのでしょうか。どんな音がしたのか、どんなメロディーを奏でていたのかなど、とても興味があります。もっともこれが発見された最古のものだそうですから、研究はこれからですね。民族音楽の研究者、音楽の歴史の研究者の研究に期待しています。

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2008年7月27日 (日)

Pausch教授の「最終講義」

  先月(6月)下旬、私はオーストラリアのケアンズに国際会議参加のために出かけましたが、帰国の際にCairns空港の書店で「The Last Lecture」 という本が目に留まり、購入しました。著者のカーネギーメロン大学教授Pauschさんには妻のJaiさんと6歳と3歳の息子さんと1歳のお嬢さんがありますが、2年前にすい臓ガンで余命数ヶ月と診断されました。「はしがき」には「この本が出版される頃には私はもうこの世にいないでしょう。」と書かれています。著者は、残された数ヶ月の生活について、できる限りの時間を家族と共に過ごすこと、さらに自分がいなくなったあと、家族が支障なく暮らして行かれるように取りはからっておく、ということをまず明らかなこととして考えました。

しかし、明らかでなかったのは、自分が子供達に残してやれるものは何か、ということでした。自分が画家であれば絵を残したであろうし、作曲家だったら音楽を残しただろう、自分は大学の教師なので、自分が残せるものは講義ではないか、と考えたということです。子供達はまだ幼く、今それを見ても分からないだろうけれども、大きくなってからそれを見て父親の考えていたことが分かるような講義を残そう、と考えたのです。

カーネギーメロン大学では、毎年、教員の中から優れた仕事をした人を選んで、講演してもらうことになっていました。このシリーズは元々は「最終講義」と名付けられ、定年退職する教授が選ばれていましたが、その時までには現在活躍している人のなかから選ばれるようになっていたのです。Pauschさんはその講演者に選ばれていました。選ばれたとき既にガンが見つかっていたのですが、その時はまだなんとかなるだろう、と楽観的に思っていたそうです。しかし、再検査の結果が戻ってきて、余命数ヶ月であることが明らかになりました。

Pauschさんは講演を辞退しようかと一時は考えました。妻のJaiさんも残り少ない日々を講義の準備に費やすよりも、子供達と一緒にゆっくりと過ごして欲しいと願いますが、最後には夫の熱意を理解して、これを許し、最終的には自分もその講義に出席することによって、夫の元気な姿を心に刻み込んでおこうと思ったのでした。

Pauschさんが選んだ講演のテーマは専門的なものではなくて、「子供の頃の夢を実現すること」というものでした。夢は追求しても、かなえられないことが多いのですが、かなえられなかった夢の追求から如何に多くのことを学んだかが、具体的な例と共に熱っぽく語られました。講演の日は丁度奥さんのJaiの誕生日で、講演の終わりに、Jaiさんを演壇に招き、Happy Birthdayを歌って講演を閉じた、と言うことでした。考えさせられることの多い内容の本でした。

ところで、今朝の朝日新聞朝刊(2008.7.27)に『「最後の授業」47歳米教授逝く』という見出しでカーネギーメロン大学のRandy Pausch教授が亡くなったことが報じられていました。すい臓ガンは肺がんと並んで死亡率が最も高いガンであることを前に読んでいましたから、難しいだろうと思っていたのですが、2日前の7月25日に亡くなったということでした。新聞の記事によれば、教授の「最後の授業」(上記「最終講義」)は動画投稿サイト「ユーチューブ」で話題を呼び、日本語にも訳されている(ランダムハウス講談社)とのことです。

追記、ユーチューブに「最終講義」のDVDがありました:

http://jp.techcrunch.com/archives/20080725dr-randy-pausch-carnegie-mellon-cs-professor-dead-at-47/

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2008年7月22日 (火)

ショパンの心臓

Scienceの最新号の「RANDOM SAMPLES」の欄にショパンの心臓のことが書かれていました。ショパンは1849年に39歳でフランスで亡くなっていますが、医師の死亡報告書には肺及び喉頭の結核と記されているそうです。ショパンの遺志により心臓は友人達によって取り出され、コニャックを満たした広口瓶に漬けられて故郷ポーランドのワルシャワの教会に送られた、ということです。

最近になって、ワルシャワ分子生物学・細胞生物学国際研究所のMichal Wittらはショパンは実は嚢胞性線維症だったのではないかと考え、これを調べるために、瓶を開けたいと希望していることが報じられました。Wittによれば、ショパンは幼少時に遺伝性の病を持っていたと言うことです。例えば、呼吸器官に感染しやすく、病弱で、思春期も遅れました。成人したショパンは小柄で時に階段を上るのが困難で、コンサートの後、ステージから降りるのに担ぎ出されなければなりませんでした。もし、ショパンが嚢胞性線維症だったと言うことになれば、これは嚢胞性線維症患者にとって特別なニュースになるだろう、とWittは述べています。

Wittはショパンの生誕200年に当たる2010年までに彼の心臓を調べたいと希望していて、コンピュータートモグラフィーやDNA診断を行う絶好の機会だろうと述べています。当局もこれに許可を与えることを検討している、と締めくくってありました。

コンピュータートモグラフィーもDNA診断も近年急速に発展してきた最新の技術ですが、この間150年以上も手を付けずに取っておけたお陰で、このような最新の技術を駆使した診断ができそうで興味が持たれます。嚢胞性線維症は日本ではとても希少な病気ですが、ヨーロッパのユダヤ人のある系統(アシュケナジー)では25人に一人の保因者がいると言うことです。

Wikipediaによれば、 嚢胞性線維症の「原因は塩素イオンチャネル(CFTR)の遺伝子異常で、水分の流れに異常をきたし粘液の粘度が高くなる。鼻汁の粘性が強くなると副鼻腔に痛みを感じ、痰の粘性が強くなると、気道を閉塞し肺炎を繰り返すようになり、ついには気管支拡張症をきたす。胆汁の粘性が強くなると、胆石をおこしたり、膵炎をおこしたり、肝機能障害からついには肝硬変をきたす。医療の発達により寿命はのびてきたとはいっても30代である。」ということです。確かに、「気道を閉塞し肺炎を繰り返す」辺りは死亡診断書と合致します。

藤原正彦さんが「天才の栄光と挫折」の後書きに「天才というのは神様のような人ではなくて、実は天国と地獄の両方を味わった人であることが分かった。」というようなことを書いておられますが、ショパンもそういう天才のひとりだと思いました。

それにしても日本人としては「自分の心臓を取り出して保存してほしい」というような遺言を残すのは尋常ではないような気がします。欧米ではそういうことはよくあるのかどうか。そういえば、大森貝塚の発見者のエドワード・モースは死んだら自分の脳を(あれは確か友人から頼まれて)保存することに同意した、と書いてあるのを読んだことがありますが。

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2008年6月15日 (日)

画廊の老人

今道友信著「出会いの輝き」を読みました。今道氏が過去80年間の人生を振り返って出会った人や本について書かれています。どの出会いも興味深く読みましたが、今日は特に心に残った1人の人のことだけを書いておきたいと思います。今道氏がルーマニアのブカレストで出会ったジョルジュ・ラザールという画家の話です。私は絵についてはあまり知識がありませんが、今道氏はルーマニアでの学会の間に、ある画廊を訪ね、ラザールの絵を見たのです。その画廊に毎日座っていた老人は門番だろうと思っていたのですが、ラザールについて尋ねて、実はその老人がラザールその人だった、と言うことでした。その話の中ではパリにいたときにラザールが尊敬していた藤田画伯が話の要なのですが、私が印象に残ったのはラザールという人の生き方です。私の勝手な解釈ですが、おそらくその画家は必ずしも藤田ほどには社会的にも成功した画家ではないのですが、人から認められるか否かとは関係なしにこつこつと仕事を積み重ねている人のように思いました。しかも、なにかその人独自の大切なものを見いだして生き甲斐としているように思ったのです。

まだ定年まで5年ほどありますが、定年後もいつまでも、心の中に何かテーマを持って勉強を続けながら、ラザールのように淡々と生きていけたらと思いました。

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2008年5月28日 (水)

朝の通勤電車で

朝の通勤時、藤沢から小田急江ノ島線に乗ると、時々ある母親と息子さんに出会います。もうかれこれ7-8年にもなるでしょうか。もっと長いかも知れません。いつの頃からかその母親とは会釈するようになりました。息子さんはもう二十歳を過ぎているのではないかと思いますが、強度の自閉症と思われ、落ち着いて座っていられずに車内を歩いて行ったり来たりし、時折奇声を発します。母親はいつも周りの人に気を遣ってお気の毒で、私は「そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。」という気持ちで、なんとなく挨拶するようになり、たまにその2人の横に腰掛けるとお母さんと話をするようになりました。しかし、息子さんとは一瞬目を合わせることはあっても、お互いに「見る」というところには至ったことはありませんでした。自閉症の子供は相手と目が合わない、ということは聞いたことがあり、自分の世界に閉じこもっているので、なかなか意志を通じ合うのは難しいのだろうと思います。ところが、今朝は会ったとき、笑顔を向けると、2~3秒と思いますが、目が合ったのです。これは初めてのことだと思い、なんだか嬉しくなりました。さらに、2人が桜ヶ丘の駅で降りるときには、母親に会釈した後、息子さんを見ると、こちらを見て何か言ったように思いました。「さようなら。」と言おうとしたのでしょうか。今度会ったときにも目が合うといいな、と思います。

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2007年12月 8日 (土)

腱鞘炎

数ヶ月前から腕、特に右腕の腱鞘炎に悩まされています。どうも長年にわたってノートPCや時には楽器(フルート)も入れた重い鞄を持ち歩いていたためではないかと思うのですが、なってみていくつか気がついたことがあります。普段の何気ない動作に右手の指を思ったよりもしょっちゅう使っていることです。例えば、電動髭剃りで髭を剃るのがしんどい、箸で力を入れてモノが挟めない、PCで同じキー操作を続けて行うと痛む、など今まで難なくこなしていた動作が意外と大変だと言うことに気づきました。時々頭の中でメロディーが走っているとき、鼻歌を歌ったりすることもありますが、無意識に右指で鍵盤を叩くような動作をしていることも腱鞘炎になってみて初めて気がつきました。手で持つ鞄はしんどいので、肩掛けにし、それもしんどくなってリュックサックにしましたが、これも肩が凝って困ります。そこである人から聞いたのは同じリュックサックでも腰でベルトを締めるタイプがいいと云うことで、ちょっと高価なリュックを買って腰で支えるようにしたら大部楽になりました。

現在、鍼の治療をしています。フルートの師匠から紹介してもらったのです。治療に使う鍼というのは先がとがっていないのだ、ということを初めて知りました。本当に細いですが、押して入れるわけですから、ある程度の太さがあるわけです。ほとんど痛くないのも不思議ですが、なぜ鍼を1cmも入れて血が出ないかが不思議でした。なぜかというと、なんでも先がとがっていないことが重要なのだそうで、とがっていないために毛細血管に刺さらず、神経にも刺さらないで血管や神経が避けるのだそうです。鍼の働きは、筋肉組織を傷つけて免疫力を刺激することなんですね。うるさい質問をする患者だと思われているかも。

2ヶ月ほど通い、まだ少し痛んだりしますが、握ったり、痛い筋を押しても一時より大部痛くなくなってきました。年内に治療が終わることを期待しています。

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